2006年12月31日
【 27年目を終えるに当たり 】
大晦日だからといって、特に部屋の大掃除を
するわけでもない習慣に身を置いて二十数年
が経ちました。生まれたのは大連だし、成人
後も通算6年ヨーロッパに住んだし、日本の
年末年始の行事なんか関係ないやってわけで
す。
ベッドに転がってモーツアルトの交響曲38
番を聴きつつ、椎名誠の「本の雑誌血風録」
を読んでいたら、突如ブログを書きたくなり
ました。
かねてから「本の雑誌社」と「劇団四季」の
二つを経営面での目標にしています。
両者の共通項は、全員参加の情熱集団であり、
自社商品の流通面で中間業者に頼らないこと。
なかなか取れないはずのチケットが、当日開幕
したら空席チラホラがよくある。チケット屋が
ギリギリまで抑えていて、当日にドタキャン
する。炎のマエストロ小林研一郎が指揮する
ホールにも空席があるし、関西二期会の公演
でも売り切れのはずの空席が目立つ。中間の
チケット取り扱い業者を排除すれば、こんな
ことはなくなる。
本の雑誌は、目黒孝二という人が、自分で書い
た書評をまとめて、自ら都内の書店を訪ね歩き
販路を開拓した。これが東販や日販を頼って
いたら配本はろくに店頭にも出されずに消えた
と思う。
さてパパゲーノが起業に目覚め、独立したのが
1980年1月のこと。暦を見て好日を選び
登記したのは11日だけど、実質的には元旦
から事務所に詰めていた。家賃6万円の大阪
では川向こうと呼ばれる新開地での出発でした。
4年目の5月に、なんと家賃百万円以上の凄い
一等地の新築ビルのテナントとなった。家賃で
言えば毎月それまでの一年半を払うわけ。これ
はエライことになったと思いました。
一時は全国に140余りの代理店・問屋を抱え
たが、所詮中間業者には商品への愛情が無いと
判り、次々と縁をきっていった。当然売り上げ
は落ちたが、返品を伴う仮需出荷は意味が無い。
どんな有名店であろうと直接納入に切り替えた。
これって意外と難事業で、先ず口座というもの
を開かなきゃならない。最初は渋る相手を根気
強く説得し、直納入でなきゃ商品は流れても、
その商品をなぜ輸入するか、どこが国産品と違う
のかといったソフトウエアーが伝わらないと訴え
た。
今困ってること。それは店という店がコンビニ
化して、店員に商品学が為されなくなったこと。
無理も無い。店によっては2万数千種類もの品
を置いている。一々商品の特性を学べったって
そんな神業みたいなこと誰にも出来ない。
この事実に戸惑っている中小・零細企業がどれ
ほど有るんだろう。
で、始めたのがブログ『パパゲーノが選ぶこだ
わりの店』。ただ今趣旨に賛同し参加してくれ
た仲間が、およそ120。単なる「お店紹介」
じゃつまらんから、エッセイ風に仕立てたら、
結構読者が増えて、ブログで見たからと新規の
客も来るようになりました。3月までに500
の仲間を作り、2年以内に5000を結集する。
不思議なパワーがついて、加盟した店という店
の記事がグーグル検索で第1ページに来ます。
しかも多くがトップに来る。
各店でブログを読みに来るよう働きかける。
自分の店の宣伝で終わらず仲間の店の紹介にも
なります。今は京阪神に偏っているが、いずれ
「我が町レポーター」とでも呼ぶべき協力者も
現れてくると信じている。現存する仮想市場と
違って、ブログ記事をどんどん書き足していく
から、常にアップツーデートの情報が発進でき
る道理。やってみて分かったこと、同じ悩みを
持ち、かつこだわりを持つ同志が如何に多いか。
劇団四季の団員たちの、あの熱情を盗みたい。
本の雑誌社のユニークな発展ぶりにあやかりた
い。かの群よう子は、3畳しかない事務所に
たった3万円の給料で雇われた電話番だった。
1977年というから、いくら何でも3万円は
ヒドイ。当時の世間相場の半分以下だ。それに
耐えた群さんは、余りにもの暇つぶしに書くこ
とを創め、今日の大成を見たし、椎名誠とその
仲間たちが、そこを拠点に名を上げて入った。
パパゲーノの会社の決算は12月31日だから
今日で創業第27期が終わるわけです。
会社の寿命は30年で尽きると言う。その通り
だと痛感します。会社は改革しなきゃならない。
改革なくして生存はあり得ない。
パパゲーノ
【 パパゲーノが選ぶ「こだわりのお店」 】
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http://papageno.de-blog.jp/forever/2006/09/__65c1.html
Posted by パパゲーノ at 22:37│Comments(0)
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