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Posted by 滋賀咲くブログ at

2006年12月24日

【 ドイツ語学校へ(その3) 】


      ~ヨーロッパ浪漫紀行 旅ノ6~

「涙と共にパンを齧った想い出を持たぬ者は、共に
語るに 足りない」と文豪ゲーテは言った。涙と共の
パンならサンザン 齧ってきたボクだけど、涙?と
共に飴をしゃぶって耐えた一夜 はあの時だけだ。
目を覚ますと、ガストハウス(居酒屋)の肥った
オバチャン がコーヒーとパン・バターだけだった
けど、朝食を用意して くれた。
ゲーテは目の前の丘の上にある。入学手続きが
始まっていて、 この日だけは英語がOKだった。
宿舎は民宿と寮があるが、どちらが良いかと聞か
れ、ボクは 寮を選んだ。本当にドイツ語を早く
マスターするためには 民宿の方がよかったと
思う。
寮は一人部屋と二人部屋が選べた。ボクは個室
を選んだ。 個室は北側に面した3階だった。2階
には教室があり、1階 には食堂がある。
学・食・住が垂直に近接している。

窓からは右手に大きな森が広がり、左手にかけて
丘に続く まばらな林。鹿やリス、ウサギたちが遊ん
でいます。
1階に下りて食堂側に行くと、目の下にかなり大きな
池があって、白鳥や鴨が居る。

「これはブルー・コメッツの世界だ」。
ボクは口笛を吹いた。
♪森と泉に囲まれて、静かに眠るブルー、ブルー・
シャトー

ソバカスだらけの女の子が近づいてきて「良い
メロディね」。 カナダからきたフライディだと名乗り、
ゲーテでも最上級のクラスだとのこと。この町は
良く知っているという。
フライディが、一番大事なドイツ語だと「イッヒ・ハー
ベ・フンガー」(お腹が空いた)を教えてくれた。

早速「イッヒ・ハーベ・フンガー」と口にし、二人で村の
中心部まで行って、きわめて質素な食事をした。何か
得体の知れないジャガ芋料理とスープだった。

ドイツ語の学習は翌日から始まった。ドイツ語でドイツ
語 を教える。それが如何に合理的で速成学習が
出来るかを、 思い知らされる素晴しい日々が始ま
ったのである。

学校はオリンピック会場の様だった。ゆうに50カ国を
数え得る多くの国から生徒が来ていた。ボクのクラス
は14名 だったと思う。ベルギー・フランス・イタリヤ・
トルコ・ インド・ヴェトナム・シエラレオネ・エチオピア・
ヨルダン・ スペインそれに日本だった。金メダルを
取らなくっちゃと真剣に思った。
                
           パパゲーノ



↓【パパゲーノが往く「ヨーロッパ浪漫紀行」】の過去の記事はこちらでご覧になれます。↓
http://papageno.de-blog.jp/roman_europe/cat5003209/index.html


  


Posted by パパゲーノ at 16:41Comments(0)ヨーロッパ浪漫紀行

2006年12月24日

【 ドイツ語学校へ(その2) 】


      ~ヨーロッパ浪漫紀行 旅ノ5~

誰もいない田舎の駅で、辺りはどんどん暗くなって
くる。 一人いた駅員を探すっきゃない。結構広い
駅舎を探しました。 よっぽど暇なんでしょう。横に
なって雑誌を眺めていた、まだ 若い駅員を見つけ
ました。どうせ英会話なんて出来んと思い 単語を
三つ叫びました。
「ゲーテ!」「タクシー!」「テレフォン!」と。
カレは理解したようで「むにゃむにゃ、タクシー、
むにゃ、 テレフォン」と言いながら、手のひらを
上にした。
「はは~ん、これは電話でタクシーを呼んでやる
からコインを寄越せ」ってことだと判断。
財布の中身を取り出しました。

予想は当たって、カレはコインをつかみ電話を
かけにいった。
帰ってきて「タクシー、むにゃむにゃ、むにゃむにゃ
ヒヤー」
ヒヤーはドイツ語でもヒヤーなんだ。ここに待って
たら タクシーが来るんだと、これぐらいは言える
「ダンケ」。

タクシーは一向に来ない。もう辺りは真っ暗です。
心細い ったらない。また駅員を探しに行った。
「ノータクシー、ヒヤー」
カレは怒った顔で「タクシーむにゃむにゃヒヤー」

待つしかないのか、でも何時まで待てばいいんだ
ろう。 そこへオバチャンが運転してベンツがやって
きて、ボクの前でとまり、窓を開けて「むにゃむにゃ」。
ボクがとまどっていたら、最後に自分の鼻を指して
タクシー と言った。
なんだ、これがタクシーか。
荷物を乗せ、助手席に座り、「ゲーテ!」。
オバチャンは手を横に振り、「ホイテ、むにゃゲーテ
むにゃ」
今日はゲーテは閉まってると、それは分かった。
今度は泊まるところを頼まなきゃ。で、「ホテル、
ホテル」
そんな結構なモノがあるワケないことは先刻承知
だけど。
オバチャンは「むにゃむにゃ、ホテルむにゃヒヤー」
ここにはホテルなんか無いよってことは判る。
分かった上で「ホテル、ホテル」

困ったオバチャンはゲーテに近いガストハウスに
入った。
やがて太ったオカミさんらしいのがやってきて、ニコ
ニコ しながらボクの荷物を両手に下げて店の中に
入っていった。
「やったー!泊めてくれるんだ」
こうしてボクは一夜の恩を得た。二階に空き部屋が
あり、 ベッドだけがポツンと置いてある。
あとは洗面台だけ。

落ち着いたら、やたらに腹が減っていた。下に降りて
行ったら ソーセージなんかもあったし、皆がビール
を飲んでいる。ボクもビールが飲みたい。だけどもう
ボクには大勢の興味の 的になり、数少ない単語を
叫ぶだけのエネルギーが残って いませんでした。
荷物をかき回し、栄太郎の飴を見つけたボクは、
ただ飴をしゃぶり一夜を過ごしました。

          
           パパゲーノ



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Posted by パパゲーノ at 16:41Comments(0)ヨーロッパ浪漫紀行

2006年12月24日

【 ドイツ語学校へ(その1) 】


       ~ヨーロッパ浪漫紀行 旅ノ4~

ボクに用意された学校はゲーテ・インスティチュートと
いう ドイツ政府が各国の若者のために、大学進学や
就職の基礎と なるドイツ語習得をさせるために開い
た学校でした。
校舎はドイツ各地にあるらしいのですが、ボクに用意
された のはエーバースベルグという訳して「いのしし
山」。まさに ド田舎でした。ミュンヘンからローカル
電車で2回乗り換えて行くのです。

「いのしし山」に着きました。修業期間は2ヶ月だ
から、それなりの荷物があります。駅の周りは畑で
ホテルはおろか店の 一軒もありません。タクシー
乗り場なんて当然ないし、バス 停もない。一人いた
駅員は電車が引き返していったから、用 が無いらし
くどこかへ消えちゃった。
さぁ困った。十月末のことだったから午後3時を過ぎ
て辺りは暗くなってくるし。
ミュンヘンに引き返そうかと思ったが、時刻表を見た
ら次は 5時間ぐらい後になる。
ボクはどうしたらいいんだろう。

                
           パパゲーノ



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Posted by パパゲーノ at 16:40Comments(0)ヨーロッパ浪漫紀行

2006年12月24日

【 ドイツ・ハンブルグ支店に転勤命令 】


       ~ヨーロッパ浪漫紀行 旅ノ3~

欧州・南アに四十数日の長期出張を何とかこなし、
帰国したボクに早速ハンブルグ勤務の打診があり
ました。部長によればあの出張はテストの意味を
兼ねていて「お前は立派に合格」だと言うのです。

ボクは辞退したいと言いました。あの程度の英語力
では出張ならまだしも、駐在員なんてトンデモナイ。
部長は怒りました。今と違ってヨーロッパなんて
滅多に行くことが出来なかった時代です。
商社マンたる者、誰もが夢見たあこがれの駐在
地域でした。

「オレはお前の為に皆が羨む最高の場所を用意
してやった。それを断るとはなんだ」叱られて当然
でしょう。

二・三日して名前も顔も知ってはいるが、話なんか
したこともない重役からボクのデスクに社内電話が
かかってきて直ぐに来てくれとのこと。

「英語に自信が無いからといってハンブルグ行きを
断っているらしいな。ドイツに行くんだから英語が
弱くても支障はない。キミの為にドイツ語学校入学
を用意させた」

「え~っ! ドイツ語学校?」

ドイツ語なんて大学の第二でも習っていないのに。
身近な部長ならまだしも、雲の上の重役には逆ら
えない。 困ったことになったなぁ~。


                
           パパゲーノ



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Posted by パパゲーノ at 16:39Comments(0)ヨーロッパ浪漫紀行

2006年12月24日

【 言葉って不思議な物 】


      ~ヨーロッパ浪漫紀行 旅ノ2~

商社マンでありながら英語が出来ず、会社で外人を
見かけたら 逃げ回っていたボクが、あろうことか欧州
・南ア四十数日の出 張に出され、しかもその出張を
終えた後はハンブルグ支店勤務 が待っていると噂
され、まさに聾唖者の心境で、遊びじゃなく って合成
繊維の糸や綿を売らなきゃならない。あんな心細く
不安な 日々はありませんでした。

不思議なものです。だんだん度胸が付いてくる。
相手の会社に 訪問し挨拶が終ったら、テーブルの
真ん中にA4の白紙とボー ルペンを置くことにしま
した。こちらが良く聞き取れていない と見るや、相手
は紙を取上げてポイントになることをそこに書 いて
くれる。特に値段や数量などの重要ポイントは、相手
が紙 に書いてくれることで、何よりの証拠になります。
この方式で 心配していた商談も意外やスムースに
運んだ。

ヨハネスベルグにはローマから夜行便で飛びました。
南アに入 るとアフリカーンといってオランダ語を
ベースにした国語があ り、英系は見事な英語をしゃ
べるけれど、オランダ系の人はそ うでもない。相手も
下手だと思うとびくびくする必要もないわ けで、だん
だん聴くことも話すことも出来るようになった。

南アに十数日いてロンドンに帰ったときは、支店の
従業員との 話なら結構楽にしゃべれるようになって
いました。
ボクの生涯 で英会話教室に行ったことなんて無い
から、あの出張が生きた 会話学校の役割を果たし
てくれたんだと思っています。
                
           パパゲーノ



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