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Posted by 滋賀咲くブログ at

2006年12月22日

【 サラリーマンのお正月 】

サラリーマンも課長クラスになると、
ぼつぼつ派閥の末端組織の構成要員に数え
られるようで。

ある年の暮れ、切れ者として著名な副本部長
から、耳元で囁かれた。正月は二日に家に居る。

来いという意味だった。

ボクは妙に「迎合」が嫌で、指定された二日に
あえて訪問をしなかった。

その日がN派の総会だったとは、後で知った。
行かなかったボクを見るNさんの眼が変わった。

社内の大幅な異動があって、課ぐるみ別の本部
に移籍となった。M本部長は、ボクをN派の者
とみて、明らかに差別の眼で見ていた。

出勤途上一緒になって、M本部長がボクを喫茶店
に誘うのに一年かかった。
「キミは意外とN派じゃなかったんだな」

ボクは何派でもなかった。すでに役員も退任した
Tさんの子分ではあったが。親分がいなくなった
から、ただの一匹狼だったんだ。

会社もやめて、まだ起業が成功に至らないある年
の正月、自宅にMさんから電話があった。

「すまんが、今から来てくれないか」

前年の12月初旬に、M本部長が、取締役就任の
直前に、子会社の社長として転出していた。

訪れたら、Mさん夫妻が浮かぬ顔で待っていた。

奥さんのハナシでは、去年までは30名を越える
部下の訪問があって、その感覚で「おせち」を
用意した。誰も来ない。出世が止ったとなると
こうも現金なものかと、Mさん夫妻は嘆いた。

同じニュータウンに住む誰それの顔が浮かび、
もっと大勢を呼びましょうか。

そうしてくれると助かる。

じゃあと、知った顔ぶれを5~6名呼び集めて
喜ばれた。「おせち」もだいぶ片付いたから。

サラリーマンの多くはキタナイなと思った。

そんなに掌返すようなマネが、よくも出来たもんだ。

サラリーマン社会の派閥は、正月に作られ正月に
潰れるようである。



           パパゲーノ



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Posted by パパゲーノ at 15:48Comments(0)華麗な生活

2006年12月22日

【 サラリーマンのお歳暮 】

22才で希望の商社に就職したボクは、
シーズンごとに総務部長の名で出る社内通達
「社内での虚礼廃止」すなわち、上司に中元・
歳暮を贈るなをマトモに受け止めて、一切
贈り物を贈ることなく、23年間働いて退職 した。

途中で気がついた。

あの通達の本当の意味は、

「皆さん、そろそろお中元を贈る季節ですよ。
お忘れじゃないでしょうね」だったんだと。

独身寮の寮長をやった関係上、総務部長は何かと
交渉する相手だった。

Hさんという総務部長は、たまたま大学の先輩
でもあり、偶には自宅に来いよといわれ、ある
年末の日曜日に訪問して、そこで驚くべき光景
を見たのだった。

次から次へと、来るわ来るわ。着飾った奥様風
が、風呂敷に何かを包み、年末の挨拶にやって
来るのだ。風呂敷の中身は、言うまでもなく
お歳暮の品だった。やってきたご婦人方は総務部
所属の社員夫人だったのだ。

好きな物を持って帰れあれもこれも、そのために
呼んだんだと、H部長は笑いながら多くの品を
ボクに押し付けた。

なるほど、これが大人の社会かと。
だけど、その後も、ボクは絶対に社内贈呈をやらず、
社内での地位が上がってからは、

「本当に持ってくるな」と部下たちに厳命した。

ボクがお中元やお歳暮を送り出したのは、尊敬する
上司が会社を離れてからだった。役員就任の寸前に
子会社に出された人たちには必ず贈った。

変わったヤツといわれても構わない。お世話になった
気持ちからの贈り物。ボクの出世に関係の無い人に
なってから贈る。それが、どこが可笑しいか。

今のボクの会社。当然ながら誰も何も贈ってこない。
ボクが贈る相手も、現在の取引先じゃなく、とっくに
引退した銀行のOBとか、この世界で新参のボクを
導いてくれた人が数名。現役には絶対に贈らない。

妙なことに、凄くこだわりがある。


              パパゲーノ


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Posted by パパゲーノ at 15:48Comments(0)華麗な生活