2006年12月31日

【 大晦日の過ごし方 】


2000年には腹膜炎で、というよりも、
抗生物質の入れすぎで生死の境をさまよって
いたのだが、21世紀に入ってからの4回の
大晦日は、それに続く元旦も加えて、ひたすら
テニスコートに立っていました。

コーチも休みをとるから、専らホテルのスタッフ
を相手にヒッティングをやっていた。

通算6年のヨーロッパ生活で、元々生まれた場所
すら日本本土じゃないボクは、正月の儀式なんか
どうでもよくなって、お飾りもしないし、おせち
だって豪華なものは要らない。年末年始はただ
長い休みがあるだけ。

そんな中で、唯一の例外として、昨年2005年
の大晦日の今頃は、京都の錦市場に居ました。
在京都の高校の同級生K君を引っ張り出して、京都
の大晦日がどんなものかを見物に入ったのです。

錦は込んではいたが、たぶん前日よりは人手が減っ
たのだと思われ、押すな押すなで歩けないほどの
人手ではなかった。この市場の東の端の方にある
「蒸し寿司」屋で、ここ5~6年来の願望を果たす
つもりであったのに、無残や「蒸し寿司屋」は閉ま
っていた。

京極にある「蒸し寿司屋」は店からはみ出した列が
30人を越えていて、寒い中を待つ忍耐力なんか二人
とも持ち合わせちゃいないから、店が意図的に排出
する香りだけを嗅ぎ、それじゃとポント町に行った。

もう少し歩いて、花見小路辺りまで行けばよかったの
だが、つい目についた和食何でも屋に入ってしまい、
さして旨くもないうなぎ料理を食べた。二階の窓から
眺める鴨川がやたら寂しげに見えました。

K君は話題の広い人だから、話は尽きない。
ポント町を更に歩いて角店の喫茶店を見つけたが、
そこの娘らしき若い女の子が、店の外から窓を拭き、
余ったチカラで壁もモップで洗っている。なまじ窓
がピカピカで、中が如何にも暖かそう。

「お店やってる?」と訊ねたら、「ちょっと聞いてき
ます」。

「どうぞ」となって、他には誰も客のいない店に入り、
京都の迎春準備の整った店内の窓際の席に坐って
珈琲を喫んだ。なんだか随分と長い時間を喋り続けた。
K君との会話をレコーダーに録り、そのまま速記者に
渡したら、優に一冊の本が出来るんじゃないか。それ
ぐらいカレは話題が豊富な人なんです。大学から
ず~っと京都住まいで寺社仏閣に強いのは当然な
がら、歴史や文学にもやたら強いから、ハナシに
ついて行くのがもうタイヘン。
それが丁度一年前の大晦日でした。




           パパゲーノ



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